STIの歩み

STIの歩みは挑戦の歴史と言っても過言ではありません。
「SUBARUを世界一に」するという創業時からの使命を掲げ、
「意のままに操れるクルマ」で世界の頂点に挑み続けます。

1988年4月、STI誕生

株式会社SUBARU (当時、富士重工業株式会社)は1972年、サザンクロスラリー(オーストラリア)に、FFレオーネを投入し初参戦しました。このレオーネでコ・ドライバーを務めたのが、のちのSTI創立社長である久世隆一郎です。SUBARUはその後、レオーネ4WDでサファリラリー(ケニア)にも参戦します。
これらの体験を基とした新世代モータースポーツへの対応の必要から、STIは誕生しました。
すぐに取り組んだのが、FIA公認10万km世界速度記録への挑戦です。これは初代レガシィによって記録が樹立され、それは16年間破られることがありませんでした。
「SUBARUを世界一に」を使命とするSTIは、最初から「世界一」のタイトルをもつブランドとしての船出となりました。

WRC参戦と量産車両への展開

SUBARUは過酷なサファリで技術を磨き、90年からレガシィでWRCへ本格参戦、93年には初優勝を果たします。これに続いて「WRCで勝てるマシン」として開発されたインプレッサは、日本車として初の3年連続WRCマニュファクチャラーズチャンピオンの座に輝きます。
参入相次ぐ欧州強豪メーカーと戦いながら、インプレッサは細かい仕様変更を重ね、自身を磨いていきます。日本メーカーとして最多であるWRC勝利数47のうち、46はインプレッサによるものです。
世界のラリー競技で常に高いパフォーマンスを発揮できるインプレッサ。その市販車ラインナップに投入された「STIバージョン」は、限定生産から量産カタログモデルへと進み、「プレミアムスポーツセダン」という新ジャンルを確立します。今やワールドクラスのスポーツセダンとして、インプレッサは世界中のラリーファンに親しまれています。

レースで鍛えた技術を商品へ

STIがプロデュースするSUBARUプレミアム限定車の先駆けは、3年連続WRCマニュファクチャラーズチャンピオンを記念して開発された「インプレッサ22B STIバージョン」でした。限定400台には発表と同時にオーダーが殺到。STIのブランド強化に貢献します。プレミアムスポーツセダンとしての血統は、インプレッサS201、S202、S203、S204といった限定車に継承されていきます。
SUBARUブランドをけん引する存在であるSTIが開発するのは、コンプリートカーだけではありません。
ボディのしなりを利用し路面のギャップを巧妙にいなすフレキシブルタワーバーなどのSTIパフォーマンスパーツや、独自の立体裁断によりステアリング操作をスムースにし、着心地の軽さと動きやすさを追求したドライビングウェアなど、STI独自のパフォーマンスパーツやアクセサリーにも力を注いでいます。

SUBARUファンとともに再び世界の頂点を目指す

SUBARUは08年を以てWRC参戦を終了しました。STIはWRCで培った技術力で新分野へ挑戦。再び世界一を目指す計画を始動させます。
STIが独自参戦するニュルブルクリンク24時間レースでは強豪がひしめくSP3Tクラスにおいて、STIは、誰が乗っても「手足のように自在に操れる」クルマで参戦。2011年と2012年、2015年と2016年でそれぞれ連覇を達成します。
レースで使われた技術は、コンプリートカーやパーツの性能開発に反映されています。